最初と最後の回転寿司③

今回は広島に異動してからのお話です。
降格でしたので、主任という役職で広島のお店にはいりました。

広島のお店は会社の中では3番目ぐらいの売上のお店でした。
初めて出勤したときに道路向かいにカッパ寿司さんがあってびっくりしました。

回転寿司の前に回転寿司があり、競合店がこんな近くにあるのは、
熊本でスシローさんとくら寿司さんが道路を挟んで立っていたときと同じでした。

働いてみると社員ではない職人さんが2人働いていて、
普段のお店でしたら、社員の人が、あさ魚を捌いてパートナーの方が営業の準備をする形ですが、
この店舗では職人さんがネタを切り、休みの日だけ代わりにネタを切るスタイルでした。

そこでは店長がいて、主任の自分がいて、一般の社員の方の3人の社員がいました。

働いてみると回転寿司ですが、地域性もありお金を持っているお客様が多くご来店される店舗でしたので、
2種類の業態がある回転寿司で、グルメ回転寿司に位置づけされる業態のこちらの店舗は前いた店舗のような
バタバタして食べる回転寿司ではなく、お金を払ってでもおいしいものが食べたいお客様が多い店舗でした。

目の前にカッパ寿司があっても、働いてみるとお寿司屋さんと焼肉屋さんのような感じで
お客様を取り合う同業種ではない雰囲気でした。

職人さんにいろんな技術を教えてもらったり、前にお店をやっていた方らしくビジネスのありかたなどを教えていただきました。
偉そうなお客様のいますが、お客と店員は対等であり、
サービスを提供し対価としてお金としていただいているだけだからと何度も言われました。
ですがもう少しお客様に笑顔で接すればいいのになぁと少し思いました。(笑)

前任の店長はエリアマネージャーでパワハラとセクハラで降格するところを自分から辞められた店長でした。
今回の店長も岡山からこられたエリアマネージャーでした。
引継ぎの際に、
「新しい店長がいいなら社員の残業は30時間でいいんじゃないんですか」と話されていました。
これは、どんだけ働いても残業は30時間までしか付けないということです。
こんなこと初めてでしたので、”えっ”って思いましたが、なにも言えませんでした。

そんなこんなで3か月が経ち、店長が辞めるという話がでていました。
確認するとGWまでで辞められるということでした。
自分自身もなぜこんなに働いて残業代を削られなければならないんだと思い、
何度も何度も悩み、辞めると部長に連絡しました。

もし自分自身が店長になっても部下には
残業代をカットするからとは言えないとの理由でした。

部長は「なら山口のお店に行ってみて決算の10月まで働いてくれ」と言われました。
その時が2月でしたが、辞める理由が残業だけだったので、
次が決まっているわけではないので、その要求をのみました。
なにかあればすぐ辞めればいいかなと思いましたし。

次回は伝説の外国人が沢山来店される山口の岩国編です。

最初と最後の回転寿司②

前回からの岡山への異動からです。

市内のお店に転勤になり、本社も岡山にあり、目と鼻の先に本部もありました。
伊万里の店長も同じ店舗に異動でしたので、
引継ぎで先に自分だけ岡山に異動してきた感じでした。

店長もおらず、社員の方が2人が店にいらっしゃいました。
伊万里にいたときに、人もおらず、記録的な大雪もあり、
残業時間が90時間になっていましたが、
月が明けると営業部長から電話で、
「ほかの社員はそんなに残業をつけてない、岡山の社員はすべて0だ、
常識の範囲内にしろ」と言われ、
40時間に削ったことを思い出し、
岡山の社員の残業時間を見ると普通に60時間とかつけていてすごく騙された感じでした。

一時すると、どなたかが労基署に話されたらしく本部に呼ばれ、
残業代を返還するとの事で手渡しでお金をいただきサインと印鑑を押しました。
こんなことがあるんですね。
キャバクラのボーイで働いていたときに、警察が入られて営業停止になったときぐらいびっくりしました。(笑)

店長も岡山にこられ、一緒に仕事をしていると
別の店で店長をする話になり、
やらせてもらうことになりました。

角型といって前回も話したようなスシローさんのようなスタイルのお店に異動になりました。
売上的にはすごく低く平日は10万もいかないお店でした。
社員も自分とべつにこの前の店舗にいらっしゃった主任の方が逆に部下になる形でした。

夏休みにはいり、社員の残業も36協定で30時間までにするように上からは言われ、
主任の方は週に3~4日休みで自分自身は夏休みなので、休みがあるかないかのシフトでした。

最後の週に地元の福岡に帰るために2連休をもらうと、
アルバイトがでれないで店が回っていないと本部の方から電話がきて
「なぜこんな時期に連休なんてとるんだ」と楽しい休みのはずが
一気にテンションがさがったのを覚えております。

あまり言えない性格なので、人をまとめるのも苦手でした。

最終的には検便の時期になり、期間内に提出しないと点数がないといわれ、
アルバイトのどこにでもいそうなお調子者のバイトの子に
みんなの分してきてくれたら1000円あげるよと軽い気持ちで行ったところ
本当にしてきてくれたので、お金を払い提出したところバレてしまい降格になりました。

そこからまたもや転勤で、
広島のお店に異動が決まりました。

前回岡山・山口編と書きましたが、岡山編でしたね。

異動が多くて、どこに行ったか覚えていませんでした。
ちなみに社員面談の際には、この2年で一番異動が多いと部長にいわれました。
使いやすいんでしょうね。
では次は広島編です。(笑)

最初と最後の回転寿司①

最後は学生時代からアルバイトし正社員になった話です。

学生時代はアルバイトをしようと考え、
中古ゲーム屋さんか回転寿司屋さんか迷ってて、
母親が「お寿司食べれるほうにしたら?」と言ったことからのアルバイトでした。

バイト先では中学校が近かったので、小中と一緒だった方が3人ほどいてびっくりしました。
アルバイトは大学の1年の時まで続け、
途中で違うホテルやパチンコ屋、営業などの仕事をしていて、
営業の仕事の中、店舗を見つけ食事をしていると
知っている社員の方がいらっしゃって話していると、
「前働いていた〇〇くんは、アメリカ志望で正社員になったよ」と聞いて、
アメリカにいけるならいいなぁと思い、
今のエリアマネージャーは〇〇さんだから、電話して聞いてみたら?と言われ、
営業の仕事も向いていないなぁと感じていた時なので、
辞めて、入社することになりました。
最初の3か月はアルバイトのように働いて、
3か月後に正社員になり、新たな人生が始まりました。

最初は福岡のお店でしたが、3か月ほどすると佐賀のお店に転勤することになりました。
一緒のタイミングで福岡の別のお店から同じ店舗に異動してきた社員さんがいました。

3か月ぐらい経ったときに福岡のお店が3店舗閉店するとの事で、
その中に、自分ともう一人の社員さんのお店が入っていました。
2人で戻る場所がなくなりましたねと話した覚えがあります。

その時の店長が初めてバイトしたときのお店でアルバイトだった方でした。
お寿司の握り方を教えてもらったのも店長でしたが、
パワハラがすごくて機嫌が悪いと話しかけれる雰囲気ではありませんでした。
大の巨人好きでしたので、別のチームの優勝が決まったときは、
仕事なのに、ご注文を通す事も嫌なぐらい機嫌が悪かったです。

佐賀県の唐津のお店だったんですが、同県の伊万里のお店に異動した時も、
近いことがあり、気を使ってくれてるの延長なのか、毎回ダメ出しがすごかったです。
分かることもあるんですが、大体が理不尽でしたし、自分と店長の2人社員のお店でしたので、
終わってからのダメ出しの電話がかかってくるの頻繁にありました。
伊万里のお店はほかの店舗より比較的新しく、
最初に店長したのがパワハラ店長でしたので、思いも強いのかもしれませんね。

2年ほど勤務して、昨年対比も24か月連続100%を超えていて、
ちょうど移動してきたときに車で30分ぐらいの長崎のフランチャイズが閉店された事もあったのですが、
いろんなメニューを考えさせてもらい営業に取り入れさせてもらったり
自由にさせてもらった結果だと思います。
店も人がいなくお客様が沢山来られるので、回転レーンにお寿司をガチガチに流すことで、
お客様も流れているレーンに喜んでもらい、また来ていただけるという、
好循環になっておりました。
2年が経ち岡山に異動が決まるころには、近くに”はま寿司”ができるようになり
この記録もすぐ途絶えてしまいました。

次は海外編も加えても岡山・山口編です。

回らないお寿司屋さんでの経験

続いては回らないお寿司屋さん寿司〇〇に勤めていたときのお話です。
24時間営業の1億円で本マグロを競り落とした社長がいる会社ですね(笑)

勤めていたのは天神店になります。
24時間営業なので、ハローワークには8時間の3交代制と記入されていましたが、
実際は12時間の2交代制でした。

やっぱりどこも同じ感じですね。

面接ではお寿司の経験がありましたので、即採用でした。
入ってみると人不足でとりあえずは、って感じでした。

日勤務と夜勤務があり、夜勤の日勤よりも3万ほど夜勤手当がついて高かったんですが、
日勤のほうが良さそうだと思い、日勤を選びました。
朝の8時と夜の20時で交代するシフトでした。

給料は16万ぐらいで、残業代は出ません。
この前のパルコのお店は、20万に残業代が固定で4万ついていましたので、
どちらもきついですが、時間を考えると今回のほうがいいのかな?

この時はパルコ店で一緒だった彼女と続いており、
天神北にあった彼女の自宅からバイクで出勤していました。

朝の出勤は少し遅くなったのですが、
なんだか仕事が変わると行くのが憂鬱になりましたね。

同期では年齢は60手前のような職人さんがいました。
この前まで自分でお店をされてたようでした。

日勤の仕事はほぼランチの準備、ランチタイム、ランチの片づけ、夜の段取りでした。

ランチタイムは定食が500円、握りセットも850円ぐらいでしたので、
ほとんどランチメニューでした。
逆に単品でお寿司を頼まれると少し困っちゃうぐらいランチ寄りの段取りでした。

同期の職人さんは小鉢作りをタンタンと作っていました。。
小鉢?お通し?なんかいろんな物を作っていた印象でした。

こっちは、ランチで手一杯なのに、自分の世界でいいなぁ~ってずっと思っていました。

先輩の方がおられ、職人さんとは別に自分も含めて3人で対応していました。
ほとんど定食なので、楽なんですが、今までと違いなんだか続けれそうにない気がしていました。

休憩時間もなく、ストッカーの上で立ってほか弁を食べていました。
700円までは毎日食事代として出ると言われて、焼き肉コンビ大盛りとチキン南蛮を交互に食べていた記憶があります。

ある日お偉いさんが店に来て、ミーティングをされてた時に、職人さんにちゃんと目を見て話しを聞けと注意された時に、
耳が悪いもので、と耳をお偉いさんに向けるように横を向いてしていたところ、「いい訳するな」と怒られて、
「じゃあ、やめちゃるわ!」と怒ってその場から帰られました。
もう戻ってくることはなく、それが最後の言葉でした。

人も減り、追加されることもなく、時間が過ぎ去り、このまま続けても自分のためにならないなと思い辞めることにしました。

その中では、パルコ店にも来ていただいてた近くのテレビ局の方がこの店にきて、
「系列店ですか?」と聞かれた事もありました。
お客様とはなしたりするのは好きですが、
なんだかやりがいを感じずやめてしまいました。
1年もいなかったんじゃないかと思いますが、良い思い出です。
マグロとウニと貝類が築地から入っており、びっくりするぐらい安かったです。

仕事をするまでは彼女と一緒に食べに行っておりましたが、
辞めてからは全く行くこともありませんでした。(笑)

貝の剥き方を教わったことが一番ですかね。
すしざんまいはまたどこかで食べにいきたいですね。

次は6年続けた回転寿司のお話です。

回転寿司での経験③

パルコ編最終章です。
店長も宮崎に帰ってしまい、残ったメンバーと
新たに宮崎から来られた新入社員と中途採用の方との営業でした。
その中では、後に彼女になる女性も含まれておりました。
個性あふれる人たちで、カナダのバンクーバーの店舗に2人の社員がいかれました。
パルコ店はカナダへの出向口ような感じでした。

店長が帰られてからは店長代行を任され、
お店が忙しいのですが、人員もギリギリで、
休みを1日ずつまわす代わりに毎日休憩なく朝から晩まで働くか、
休憩が2時間ずつとれて、休みなく働くシフトのどちらにしればいいのか迷っていました。

仕事が終わってからもシフト作成や発注作業での残業でした。
隣に彼女がいてくれて、一緒に悩んでくれたのを覚えていますし、
これを書いている時に思い出しても涙がでてきます。

どんどん周りのスタッフも疲労が見えてきますし、
負のオーラがかなり増えてきていました。

すべてが空回りで、結局はやめることを選択しました。

逃げ出したかったのかもしれません。
”人や環境のせいにしない、素直な気持ちを持つ”
と言われましたが、やっぱりそれ以上に辛さが勝ってしまい、
続ける事はできませんでした。

魚の捌き方など技術的な事もそうですが、
マーケティング戦略の基本的な事や人として大事な事も
たくさん学ばせていただきましたし、
当時の自分は逃げ出しましたが、
今となってはもう少しいたかったと思ったりもしますね。

”人間味”
言葉にするとなんだか考えちゃいますが、
すべては人らしく、人間らしくが行動する事、考える事だと自分では思いました。

彼女は彼女で会社に残ることでしたので、
いろいろ話を聞いてみると、
店長が戻ってきて、何人か宮崎から連れてきて店を立て直したそうでした。

小さなお店で1000万円も売り上げていましたし、
やり方が間違っていなければ売り上げは上がるものなんだと思いました。
今はコロナウイルスで飲食店は大変ですが、その中でも売り上げている店舗はありますし、
ブランディングできていれば、並んでまでも食べたいと感じますし、
遠くても足を運んで行きたいと思うでしょう。

飲食店は難しいくて無限の可能性を持っているんですね。

自分自身は自分で店を持ちたいとは思いませんが、
多くの人が店を持ちたがっているのが少しわかった気がします。

最後になりますが、
この会社で働けた2年間は辛い事も沢山ありましが、
すごい人生の糧になったと感じます。

考え方も今までとは全然変わりました。

感謝でしかありません。

新垣さんありがとうございました。

回転寿司での経験②

さて今回は研修を終え、福岡天神のパルコの地下にオープンする話です。
久しぶりに福岡に帰ってきて、天神で働くことになります。
オープンでは20名ほどのスタッフがおり、初の福岡出店ということもあり、
宮崎で選ばれた店長、主任、ホール長もその中に入っておりました。
力の入れ具合がみえました。
20坪ほどの店舗で、横には西鉄と地下鉄を乗り降りされたお客様が通る
通り道になっている感じでした。
今回福岡パルコはシースルー感を出したいということで、
完全に店舗の中が見えており、座りこまなければ常に見えているような感じでした。
仕込みもレーンの中では手洗い場しか水を流せず、床には排水溝もないので、
魚を捌くにはかなり不向きで、裏の洗い場で魚のワタをと出し掃除し、
レーンの中のスタッフがネタを切るといった感じでした。
プレオープンでは業者様のみが入られ、どんなかんじかな?どんなかんじかな?
と、ワクワクドキドキしながら営業していましたが、お客様は全くこず、
周りのカレー屋さんやハンバーグ屋さんはかなり繁盛しており
なんだか取り残された感がありました。
月日が経ち、はじめは声を出すだけの人?(笑)もいましたが、
徐々に人が減っていき、残ったのはわずか7人でした。
店長が厳しい方で、同期の2人もやめてしまい、ホール長も心が折れて宮崎に帰ってしまいました。
店長が言っている事は間違ってはなく、自分たちの考えが浅かったからだと思いますし、
今となってはいろんな知識や技術を教えていただきましたので、
ありがたいですし、自分の中では師匠と思っています。
店自体は少しずつお客様もついてきて、
通路から丸見えなので、暖簾をつけた時期ぐらいからお客様が増え始めました。
魚の捌き方も教わり、青物→サーモン・マグロ→白身といった具合に上にのぼっていく感じでした。
9時からの出勤ですが青物は数も種類も多く、7時から仕込まないと11時の開店には間に合いませんでした。
サバと捌いて筋目にして、アジをネタにし、白身の魚を掃除しないといけませんし、
大変な分だけ成長し、今があると思います。
秋になると秋刀魚もはいり、イワシも定期的にはいり間に合わないないときもあり、
中から怒られながら裏で捌いていたこともありました。
お寿司もほかの皆さんみたいにかっこよく握りはできませんでしたが、
100円寿司出身という事もあり、スピードだけはありました。
今考えると空気をいれたり考えたりしていませんでしたので、
ほかの職人さんより、硬かったのかもしれませんね。
レーンの入れ方も独特で、
大将ポジションの方がレーンに入れるタイミング、
レーンを止めるタイミングを指示するといったスタイルでした。
入れるタイミングはお客様が入りそうになったところを見て指示し、
理想はお客様がお席に座られたタイミングでは流すのをやめ
しっかり流れている状態をつくるでした。
止めるタイミングが30秒遅れるだけで、
余るお寿司が20~30皿は増えていました。
日によって大将ポジションは変わってました。
ダラダラ書いてしまいましたが、次が最終話ですかね。(笑)

回転寿司での経験①

10年間の中で印象に残っている経験はなんですかと言われるとなんですかね?笑
一握りに10年とありますが、いろんな回転寿司で働いてきました。
宮崎で有名な、カナダのバンクーバーにも店舗がある寿司〇〇、
1億円で本マグロを競り落としたでした社長がいる寿司〇〇。
岡山発祥の西日本に多く店舗を構え、
20年前に回転寿司のほとんどのシェアを九州で持っていた〇〇〇。
期間的には、2年、1年、7年という感じですかね。
まずは初めの宮崎で有名な〇〇寿司のお話から。
最初に応募したのはいつだったかも、どんな経緯で入社したのかも覚えておりません。笑
福岡出身で今まで福岡を出たことがない自分が初めて宮崎に研修で行った事は覚えております。
2週間ほど同期入社の良さんとアパートに2人で暮らしていたことも覚えてます。
あの頃は夜中にジョギングして、ジャンプが発売される前日にYouTubeに新作がのるので、
マンガ喫茶に行って、見てたなぁー。
まあこの辺で終わりにして、
入社して宮崎の都城のお店で研修でした。
寿司経験が少しあると言ってもアルバイトでロボットから出てくるご飯を
ネタと合わせて再度握り直す事しかしたことないほとんど素人同然の自分でした。
小鯵を1キロを捌いてみてと言われ、魚を捌いたこともなかったのでやり方を教えてもらいながら、
2時間かけて下した終えた事、ほかの人なら20分でできると言われたことを覚えています。
寿司もすべて手で握り、回転レーンはあるものの基本的にはご注文を握りたてで提供するスタイルでした。
手でお寿司を握るのも慣れていませんし、教えてもらったこともなく
アルバイトながらにどれが1番早く握れるか考えた結果の小手返しですので、
職人のように空気をいれるなどとは考えたこともありませんでした。
今回実際働いたときに店長にコレとコレ食べ比べてみぃと言われたときに
初めて違いが分かりました。
テイクアウトも手握りで、軍艦と巻物だけが機械でやってくれるものでした。
今までが100円寿司の回転寿司でバイトをしていて売上は、
平日20万、土日が良いときで5,60万ぐらいでしたが、
今回のお店は田舎の中で長年寿司屋をやっている事からお客様からの信頼もあり
宮崎でブランディングされているため売上も
平日100万、土日が2、300万とかなりレベルが違うと感じました。
その分社員の割合も7割ほどでしたので、
しっかりした接客、商品が長年にわたって提供できる形でした。い
つぎはいよいよ福岡天神パルコにグランドオープンについてです。

回転寿司の楽しさとは!?②

さて、では次に接客ですよね。
自社はO型ベルトと言って、中に職人さんがいて、その周りをお客さんが囲んでお寿司を流している感じですね。
スシローさんやくら寿司さんの様に厨房が裏で手元や誰が作っているか分からないようなものをE型ベルトやツノ型ベルトと言います。
アルファベットの先がツノの様に飛び出ている事から付けられたんでしょうね!

そのO型ベルトはお客さんとの対面商売、接客なので、お客さんとの会話を楽しんだり、好みを覚えてあげてコミュニケーションをとるのが楽しかったりします。
これはどの接客業でも一緒でしょうが、お寿司は鮮度や取れた産地など状況により違ってきますし、回転寿司では炙りなどもありますので、メニューにないものをお好みで炙ってみたり、チーズや塩など色んな食べ方をしてみたり、お客さんのちょっとしたワガママにも対応したりするのもいいですよね。
もちろんその分のお金はいただきますが。
色んな話も出来ますし、逆に色々教えてもらったりもします。
全然お寿司に関係ない事でも、どこどこに行ってきたけど良かったよぉーとか、なになには何が美味しいよぉーとか、自分は基本人見知りなのですが、お客さんと従業員の関係だったらかなり話せると思います。
前に別の回転寿司で働いている時に、お客さんへ歩み寄れと教えられた時からですかね!?
最初はお客さんでも知らない人に話しかけるのには抵抗がありました。
ですが、やっぱり訓練ですかね笑
もちろん合わない人もいますが、ずっとやってきた中で感じたのは人間喋る事、話す事は基本的には好きなんだなと思いましたね。
もちろん話題や喋る相手に興味がないと会話は続かないですが笑
自分は特に子供と話す?遊ぶ?のが好きだったかな。
すぐ感情に表してくれるし、喜んでくれる笑顔が好きだね。
可愛い若い女の子もいいけど、やっぱり緊張してしまうので笑
子供達が懐いてくれて、”おにぃちゃーん”って言ってお店に入ってきてくれた時はめっちゃ嬉しいし、お寿司もだけど、自分目当てできてくれたのかなぁってなるしね。
その時は広島の店舗だったけど、岡山の店舗に異動した後も3時間かけて広島に会いに行ってご飯とか一緒に食べたりプライベートも仲良くなったしね。
回転寿司で勤めて、従業員それにお客さんとの沢山の縁を持つ事ができたかな。
接客業は仕事だけど、その中ある沢山の縁を大切にしないといけないよね。
バタバタする事もあるし、ご注文に追われる事もある、お客さんや上司から嫌な事を言われる事もある、ですがその中にある楽しさを見つけて仕事をすれば、やっぱり回転寿司で働いてよかったってなるんだと思います。

回転寿司の楽しさとは!?①

こんにちは。
今回は回転寿司での楽しさを紹介していこうと思います。
自分は回転寿司チェーン店で6年働いてる主任です。
まずはやっぱりお寿司を作るそして食べてもらう。最後にお客さんに美味しいと言ってもらう。
これに尽きると思います。
お寿司という商品を作るのにはちょっとした技術がいります。
大手回転寿司チェーン店のスシローさんみたいにシャリがロボットから出てくるまでは一緒ですが、乗せるだけでなく、握り直す事をしていました。
どこが違うの?ってなると思いますが、あまり変わりません笑
ですが、スーパーに並べてある様なお寿司から、手で握っているようなお寿司にみせる感じですかね笑
アルバイトで学生の頃入ったのですが、1年間は軍艦と巻き物のポジション、いわゆる海苔ものポジションについていました。
握り同様にロボットからシャリが成形されたカタチで出てきて、それに海苔を巻いて具をのせる感じです!
なかなか難しく、当時は手袋をして業務をする事はなかったので、少し水を手につけてロボットからシャリを持ってきた時にくっつかないように、水を付けすぎるとシャリが壊れちゃうし、付けてないと米粒が手にくっついちゃうし、さらに海苔を触るときには水気を取らないと海苔が湿気ちゃうので、その作業もなれるまでは大変でした。
具を量をキッチリ合わせないと、少なすぎるとお客さんを損させちゃうし、寿司レーンに流しても取ってくれませんし、多すぎてもその時はお客さんが満足していただいても、次に来店された時に正規の基準で提供しても少ないと思われてしまうので注意ですね!

握りは初めは手握りから始めました!
手握りとは、シャリを箱から取って、職人さんと同じように手で握っていく作業です。
先輩に横についてもらって、形を教えてもらいながら作りました。
初めは水をつけ過ぎてベチャベチャになったり、逆に手にシャリがくっ付いたり、大変でした。
ですが、作ったお寿司を食べてもらった時はなんとも言えない気持ちになり、すぐに友達にメールしてしまいました。笑
実際作って食べてもらうと嬉しいものですね!
ご注文を作ったり、寿司レーンに流したりするのはさくさくやらないと、ご注文が溜まってきてお客さんへの訴求が遅れてきてバタバタしちゃいます。
いろんな3貫握りを考えたりするのも好きでしたね。
原価も高くないように考え、お客さんにも得したように感じていただく様にみせたり、それを写真に撮ってタッチパネルに載せたり。
お客さんを飽きさせないようにするのが楽しいですね。

次は接客編ですかね笑

回転寿司は楽しい!

回転寿司はオワコン?働いてみての率直な感想とは!?

結論から言うとオワコンではありません。

コロナの影響で、不要不急の外出をさけるために、飲食店自体への来店は少なくはなかっていましたが、
その分テイクアウトやウーバーイーツなど、店舗ではなく自宅で食べれるライフスタイルに変わっていました。個人経営の飲食店なんかは資金的にも知名度的にも大変な部分が多く、閉めざる得ない環境になったのだと思います。
現在7月ですが、緊急事態宣言も明け、マスクはしているものの沢山のお客さんがご来店されて自店では売上が60%まで落ちてたものが、先月は90%まで巻き返しておりました。
大手回転寿司チェーン店のスシローさんなんかはアプリでの待ち時間が60分待ちなのはザラで、休日なんかはテイクアウトの予約に15分おきに4件ずつ入っているなど、コロナを感じさせない勢いでした。

自店の状況にはなるのですが、新型コロナウイルスという事もあり、回転レーンの商品を取られるお客さんは少なく感じました。
緊急事態宣言中はかなりテイクアウトや宅配、ウーバーイーツなど自宅で食べられるお客さんがほとんどで、売上の6割から7割ぐらいはテイクアウトでした。
30分前には作らないと間に合わないぐらいでしたので、店内が年末年始の様な状況になっておりました。

実際お客さんの食が変わったのではなく、食事する環境が変化したものだと思います。
たしかに外食するより、自宅で自炊して家族で食べられるといったように外食の頻度は減ったのかもしれませんが、回転寿司の寿司でも、やはり自宅で作るという事は簡単な事ではありません。
ですので、お寿司を食べたいと思えば、お金がある方は回らないお寿司屋さんへ、私みたいに庶民の方は回転寿司に食べに行くでしょう。
最近の回転寿司は種類も豊富で、お客さんを飽きさせないように工夫されています。
子供向けのハンバーグやウインナーなどは定番で、若年層のお客さんに人気の炙り寿司も、大人向けには本マグロのトロの部分を使ったお寿司など、商品開発に余念がないですね。

サービス部分では簡易化が進んでおり、一昔前には考えられないように、タッチパネルが置いてない店の方が珍しいぐらいになってきました。

飲食店では新型コロナウイルスで、ソーシャルディスタンスが求められ、今までは50席あったお店でも30席しか取れないようになり、1回転での売上が大幅に減少し、売上のキャパが限られてくる状態になってしまっています。
ですが、最近の回転寿司はテーブル席(4人から6人)の席を多く準備されており、知らない赤の他人には近くにいられるのが怖いと思ってしまう現状ですが、家族と言うとなると、自然と距離はあまり気にせず、いいのか悪いのから難しいですが、テーブル席を2つに分けると言うお客さんは今のところ出てきてはおりませんでした。

結論このようにお客さんが来てくれる限り、店は成り立ちますし、店に寄っては閉店をやむ終えない場合もあるとはおもいますが、現状は他の飲食店よりは先があると仕事をしてる自分からはそう思います。